蛙の唄
◇蛙の唄
画家が池の畔で絵を描いていた。
そこに茶褐色の蛙が一匹、池から這い出してきて、画家の斜め後ろから、珍しそうに絵に見入っていた。
画家はパレットに出した赤い絵具が余っていたので、そこから絵筆にとって、蛙の背中に塗りはじめた。
画家が描いているのはアクリル画である。アクリル絵具は乾きが早く、外で絵を描くにはもってこいの画材である。帰る頃には絵が乾いて、持ち運びが簡単なのである。
赤いアクリル絵具を塗られた蛙は、早くも乾燥がきたのか、肌がひりっとして、身の危険を感じた。
このままでは命にかかわる。重大事になると察した蛙は、画家の傍を離れて、出て来た池に向かって跳ねだした。そうして跳ねている間にも、お日様の光線が、アクリル絵具の水分を奪っていく。
五分近く跳ねると、ようやく池の岸に辿り着いた。そこからどぼんと、池にダイビングした。池は血しぶきが散ったようになり、なお蛙が水に潜っていくと、緋鯉が水の奥へ泳いでいくように見えた。
そうやってしばらく水の中で蛙泳ぎをしていると、アクリル絵具も水に溶けだし、どこにも突っ張った感じがしなくなり、元の褐色の蛙に戻った。
「あーあ、危ないところだったよ。おいらが絵具の色なんかに、興味を持ったのがいけなかったんだ」
そう深く反省して、水から顔を出し、画家のいる方角を振り返った。これだけ離れていれば、おいらを捕まえて色を塗ろうとはしないだろう。池には古ぼけた一艘のボートがあるが、画家がそれに乗って来るとも思えなかった。自分が人間の絵具に興味を持ったことが、何よりいけなかった。
それにしても、あの画家はどうして不意に、あんな気まぐれを起こしたのだろう。蛙に赤い色を塗るなんて。もしかしたら、この繁みの向こうをすいすい走っている、我々蛙にそっくりな顔をした乗物に仕立て上げ、子供の土産物にしようとしたのかもしれないぞ。
くわばらくわばら、蛙はそう呟くと、池からトチカガミの葉の上に躍り出た。そこに立ち上がって、両手を撥代わりに腹を叩き、ケロケロケロと、愉快そうに、蛙の唄を歌いだした。
おわり